岐阜地方裁判所 昭和61年(行ウ)13号 判決 1993年4月28日
原告
千代田観光株式会社 (X)
右代表者代表取締役
丹羽進
右訴訟代理人弁護士
大野悦男
同
小出良煕
同
幅隆彦
被告
岐阜県公安委員会 (Y)
右代表者委員長
杉山幹夫
右指定代理人
玉越義雄
同
田中邦男
同
渡辺隆志
同
服部勝
同
村上正己
同
清水修
同
三品駿
同
安積信男
同
吉田渡
同
池田敬
理由
一 請求原因1及び2の各事実、被告の主張1のうち、(一)中コンパニオンを募集したのが原告であることを除いたその余の事実、(二)中瀬口及び岩田が本件違反事実が発生したとされる時期において一八歳未満である女子高校生であったとの事実、並びに被告の主張3の事実は、いずれも当事者間に争いがない。
二 右一の判示事実に、〔証拠略〕を総合すれば、以下の事実が認められ、〔証拠略〕中この認定に反する部分はいずれも採用できず(その主要な点に対する判断は後記三のとおりである。)、他にこの認定を覆すに足りる証拠はない。
1 原告代表者は、昭和四六年ころから税理士を開業していた者であるが、昭和五九年三月三〇日、関係する銀行の依頼により、原告の経営に携わることになって、原告の代表取締役に就任した。しかしながら、料理旅館の経営には素人であったため、昭和六〇年春ころまでは訴外大谷恭三を副社長とし、同年秋ころまでは訴外山田功を専務にして、料理旅館の営業に通じている同人らの助言の下に原告の経営に当っていたが、同年秋ころには右のような経験者がいなくなってしまった。そこで、原告代表者は、同年夏ころからレセプションサービスとの名称でコンパニオン派遣業を営み、その業務のために松げんに出入りしていた酒井に対し、原告へのコンパニオン派遣や東海地方の誘客などの業務を依頼することにしたが、酒井が破産した経験があるということや知り合ってから未だ日が浅く必ずしも信頼がおけなかったため、直接原告の従業員として採用するのではなく、業務委託という形式を採ることにし、同年一二月一日、酒井との間で、契約期間を一年として、「東海地方の誘客、条件決定、送客等案内所業務」及び「利用客の依頼するホステス、コンパニオン等の手配指導、監督の業務」を酒井に委任する旨の業務委託契約を結んだ。原告は、コンパニオンにつき、その採用、外注をする場合の手配、松げんの宴席への派遣等一切を酒井に任す旨依頼した上、酒井の名古屋地区における広い人脈に期待していたことから、酒井に対し、報酬として年額二五〇万円、事務所経費として年額一二〇万円をそれぞれ支給することにした。そして、原告代表者は、右報酬等を月ごとに支払うことにしたが、そのうち事務所経費は原告代表者が代表取締役を務める訴外日誠産業株式会社から支払うことにした。
2 酒井は、原告との前記業務委託契約締結前まではレセプションサービスの事務所を岐阜市上竹屋町に置いていたが、右業務委託契約を締結して原告の業務に従事するに当り、右上竹屋町の事務所を閉め、一年間の約定で岐阜市早田北堤外一九〇一番地の六所在の大武ビル内の一室を賃借することにした。そして、その際、酒井は、貸主に対し、「ホテル松げん営業課長」という肩書で、原告の住所や電話番号などが記載されている名刺を差し出すとともに、契約書には借主として酒井勝哉(勝哉は通称)という個人名のみを記載し、他方、原告が酒井の保証人となった。このようにして、酒井は、原告のコンパニオンの関係の仕事をするようになったが、業務委託契約を締結しているということから、原告の賃金台帳には登載されず、また、社会保険にも加入しなかったものの、酒井に支払われる月二一万円の報酬は、昭和六〇年一二月から昭和六一年六月まで毎月、原告作成の原告の従業員の給料明細書一覧表に記載され、また、風営法三六条により備え付けが義務づけられている従業員名簿には、昭和六〇年一二月二七日現在において、入社年月日が昭和六〇年一二月一日、所属が営業として、酒井の氏名が記載されていた。また、酒井は、松げんにおいては、「ホテル松げん酒井」というネームプレートを付けて働いていた。
3 ところで、原告は、従前から、コンパニオンの宴席への派遣につき、コンパニオン派遣業者のみに依存することなく、直接コンパニオンを雇うという方法をも併用していたが、昭和六〇年の年末にコンパニオンの需要が増えたため、原告代表者は、酒井に対し、「コンパニオンを増強するように。」と要請したところ、酒井において、「人が集まらないので、新聞広告を出してほしい。」旨、原告代表者に依頼したので、原告は、そのころお座敷係が不足していたこともあって、昭和六一年一月一五日、一七日及び二〇日の三回にわたって、岐阜日日新聞紙上に「お座敷係さん 数名 年齢四〇歳迄 コンパニオン 数名 年齢二八歳迄 委細面談の上高給優遇 ホテル松げん 岐阜市湊町四二〇 電話65―〇二二〇」との求人広告を出した(本件広告)。この際、原告代表者は、酒井ほか松げんの事務所にいた従業員らに対し、「募集にやってきた女の子が特別醜くなければ全部雇い入れなさい。私には事後報告でいいから。」と指示した。
4 ところで、瀬口及び岩田は、共に同じ高等学校に通う友人であったが、当時瀬口の家計が逼迫していたことから、誘い合わせて収入の高いコンパニオンをアルバイトとしてすることにし、昭和六〇年七月下旬ころから、年齢を一九歳と偽って、コンパニオンの派遣等を業とするサンエイト企画こと訴外小原節子に採用され、同女から岐阜市内の料理旅館等に月平均三、四回コンパニオンとして派遣されていたところ、瀬口において、昭和六一年五月に入って、自宅にあった本件広告を見つけ、松げんへ電話したところ、酒井がコンパニオンの担当者として応対し、松げんにおいて採用の面接をすることにした。そこで、瀬口は、岩田と誘い合わせて私服で松げんへ赴き、松げん一階ロビーにおいて、酒井と面談したが、酒井はレセプションサービスの名を出すことはなく、また、瀬口と岩田は、年齢を一九歳と偽って話したものの、酒井において、住民票等年齢を証明し得る資料を要求することなく、その場で直ちに右両名を採用することに決めてその旨告知し、瀬口も岩田も、松げんの方がサンエイト企画よりもコンパニオンの日当が高かったことから、松げんの方を優先させて働くことにした。酒井は、右採用に当たって、瀬口及び岩田に対し、「コンパニオンの担当は僕だから、こちらへ電話するときは酒井と言って僕を呼んで下さい。」と話した。
5 そして、瀬口は、昭和六一年五月一七日及び同月二五日の二回にわたり(ただし、満一八歳に達した後である同年六月一六日にも)、岩田は、同月一七日、同月二五日及び同年六月一六日の三回にわたり、松げんで行われた利用客らの宴席に出て、そこで不特定多数の客の相手となって、酌をしたり、話し相手をしたりして、客の接待をしたが、右のいずれの日においても、コンパニオンの派遣先も明記されている原告の業務日誌には、瀬口及び岩田が松げんのコンパニオンとして記載され、瀬口及び岩田のコンパニオンとしての手当ては、松げんから直接右両名に支払われた。
6 なお、瀬口及び岩田が松げんでコンパニオンをした事実は、昭和六一年六月一六日に、右両名がアパートの屋上で高等学校の制服を着替えているのを住人に見つかって警察に通報され、職務質問を受けたことにより発覚し、酒井は、そのころ、松げんの業務から手を引いた。
三 右二の認定に対し、
1 まず、原告は、「瀬口及び岩田が松げんでコンパニオンを始めたのは、昭和六一年二月ころであって、一月の新聞広告を見て五月に応募するというのは不自然である。」旨主張する。
そこで、検討するに、瀬口及び岩田が松げんでコンパニオンを始めた時期が昭和六一年五月ころであることは、右両名において、コンパニオンをしていることが警察に発覚した昭和六一年六月から一貫して述べている(〔証拠略〕)ところである上、証人瀬口菊江の証言によれば、同女宅においては、新聞記事の切り抜きを長期間置いたままにすることがあったことが認められるから、一月ころに掲載された本件広告の切り抜きが数か月に渡って同女宅に放置されていたとしても何ら不自然ではなく、したがって、本件において、瀬口が一月の広告によって五月に応募したことは、首肯し得るところである。原告の前記主張に副う証人平光美晴の証言は、具体性に乏しく、また、同酒井勝也の証言は、本件発覚当初の同証人の供述記載(〔証拠略〕)と矛盾しており、また、右供述記載は自然かつ合理的で他の関係各証拠との整合性も保たれ、信用性が高いと認められることに照らし、いずれも採用することができない。
2 次に、原告は、「瀬口及び岩田をコンパニオンとして採用し、松げんの宴席で客の接待をさせたのは、レセプションサービスこと酒井である。」旨主張する。
しかしながら、前記認定のとおり、酒井は、原告と業務委託契約を結ぶとともにレセプションサービスの事務所を閉鎖し、松げんの名刺、名札を使用して松げんの営業に従事し、松げんの従業員名簿に登載されている上、瀬口及び岩田は、松げんの名前で出されたコンパニオン募集の新聞広告に応じて、松げんに電話で応募し、松げんで担当者である酒井とコンパニオン採用の面談をし、松げんでコンパニオンをする際には、松げんのコンパニオンとして帳簿に記載され、コンパニオンに対する手当てが松げん(原告)から直接支払われているのである。そうしてみると、酒井は、原告と業務委託契約を結んだに過ぎず、原告と雇用契約上の関係に立つものでないとはいえ、風営法にいう風俗営業者の「使用人その他の従業者」とは、風俗営業者に直接雇用されている者のほか、右のような雇用関係はなくても、当該営業者から直接又は間接に経済的な利益を得て当該営業者の営業に従事する者すべてをいうものと解されるところ、前記認定事実に照らすと、酒井は原告の従業者として松げんで稼働していたものであって、瀬口及び岩田を松げんの宴席にコンパニオンとして派遣することについて原告から独立した営業者であるとは認められない。したがって、一八歳に満たない瀬口及び岩田をコンパニオンとして採用して松げんの宴席で客の接待をさせたことは、風俗営業者である原告の従業者である酒井が原告の松げんにおける営業(本件営業)に関して行ったものと認められる。
四 ところで、コンパニオンという業務は、酒類の提供を当然に伴う宴席における接客婦として、客の傍らにあって酒の酌をしたり談笑の相手をしたり、あるいは、積極的に客に歌うことを取り持ったり客の行為を誉めそやしたりして、宴席に歓楽的雰囲気を醸し出して客をもてなすことを役割とするものである。したがって、これに従事すれば、業務の性質上、客に酒を飲まされたり、ひわいな会話、行為をされたり、誘惑されたりすることが十分あり得るのであるから、一八歳に満たない者がコンパニオンに従事することが、風営法二六条一項にいう「著しく少年の健全な育成に障害を及ぼすおそれがある」こととの要件に該当することは、明らかというべきである。被告の主張に対する認否及び反論2掲記の風営法二六条の解釈は独自の見解であって採用できない。
五 そこで、本件における処分の選択及び程度について検討すると、風営法二六条一項は、最も重い処分として風俗営業の許可の取消しまで規定している上、営業停止についてもその上限を六月と定めていることからすると、本件のように、接待をさせた一八歳未満の婦女が二名で、しかも高等学校在学中であった上、何ら身元調査等をすることなくまことに安易に採用を決定し、延べ五回にわたって夕方から夜にかけての宴席で客の接待をさせ、警察の検挙によって発覚したという事案に対して、原告に二〇日間の営業停止を命じた本件処分は、やむを得ないところというべきであり、被告において裁量権を逸脱し、又は濫用したものとは認められない。
これに対し、原告は、被告の主張に対する認否及び反論4掲記のとおり裁量権の逸脱又は濫用があった旨主張するが、前認定事実によれば、瀬口及び岩田が他の旅館等でコンパニオンとして稼働した事実はあるにせよ、それは風俗営業者から独立してコンパニオン派遣業を営んでいたサンエイト企画こと訴外小原節子の下においてであって、右旅館等が原告のように風俗営業者自らコンパニオンである瀬口及び岩田を支配下に置いて宴席で客の接待をさせたと認められるものでないことや、本件発覚の経緯に照らすと、本件処分が恣意的な処分であるとは認められず、また、コンパニオンとして稼働すること自体が、未成年者の情操を害するものであって、風営法が一律に一八歳未満の者を保護している趣旨に照らすと、稼働の時間帯が深夜に及んでいなかったこと、接待の回数が延べ五回であったことや瀬口及び岩田の年齢が一八歳に近かったことをもってしても、違法性が極めて軽微だとまではいえない上、本件が発覚した時期やその後の本件処分に至るまでの行政手続きの経過等に照らすと、被告の処分が多客期に不意打ち的に行われたものではないと認められるから、結局、原告の右主張は理由がない。
六 以上の次第で、原告の本訴請求は理由がないのでこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき、行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 日高千之 裁判官 鍬田則仁 浅見健次郎)